第7回むらの伝統文化顕彰
(財)都市農山漁村交流活性化機構理事長賞


「手火山」
特定非営利活動法人手火山(静岡県御前崎市)


■ 活動の概要
 手火山とは、焙乾(直火による燻し)という鰹節作りで、自分の勘と経験によって、薪の種類、薪の焚き方、時間、空気量、燻臭、湿度、色などを見極めながら、総合的に調整して作り上げるものである。機械を使わず、電気も使わないことも大きな特徴である。
 江戸時代に、みかんの肥料となるカツオの荒粕を船に積み紀州へ売りに行く途中に出会った、鰹節の優れた技術を持つ土佐の鰹節職人、山際初次郎を御前崎に招き、当時最新の鰹節の製造方法だった「手火山」という焙煎方法を伝授してもらうことから始まる。
 以来、改善を加えながら、手火山方式による鰹節作りが町の基幹産業となり、昭和25年頃には、鰹節製造業者は50軒にもなっていた。
 しかし昭和35年頃から時代の流れが大量生産、工業化、効率化に変わり、手火山方式はこの流れに対応できず、現在は2軒を残すのみで、当事者も高齢となり、後継者も決まらないまま、手火山方式の存続が危ぶまれている状況であった。
 特定非営利活動法人手火山は、地元有志が集まり、手火山方式の技術の継承を中心に、地域の水産業の発展とブルーツーリズムの実施し、これをまちおこし、地域の活性化につなげることを目的に、3年間の準備期間を経て、平成19年に設立。手火山を使った工場での体験学習の実施、手火山の技術の継承と施設の保存等を目指し活動を行っている。
 今後は、NPO会員、または一般に広く呼びかけ、現在、手火山を経営する2人から技術を伝授し、後継者養成を行うこととしている。

■ 講評(評価のポイント)
土佐の職人から持ち込まれ、一時は町の基幹産業だった手火山方式の鰹節作りを、地域特有の資源として捉え、単に保存・伝承するだけでなく、体験学習やブルーツーリズムへの発展など、実践的・経済的活動につなげて、多角的に地域の活性化を図ろうとしている点が評価された。まだ活動期間は短いが、焙乾による鰹節作りの技術は、全国的にも減少しており、ここでの保存・伝承は今後、非常に重要であるという点から、高く評価した。



「町じゅうの皆で守る「宝物」(花祭り)」 東栄町花祭り保存会(愛知県北設楽郡東栄町)


■ 活動の概要
 奧三河に伝わる「花祭り」は、祭場に八百万の神を呼び招き、酒食を献じ、舞いを奉納して祈りを捧げるもので、約700年の歴史をもっている。古くは旧暦霜月の寒い季節の祭りで「真冬となって太陽が力を失い、世の中がもっとも精気をなくすこの時期に、大地の精霊を呼び起こし、祭祀の法力によって万物の再生を祈る」という精神が宿っているとされる。
 江戸期には、町内11カ所で行われ、祭りの拡大のピークを迎え、明治期に始まった1地区を加え、12の集落で行っていたが、戦後まもなく廃村により1地区途絶えたが、他の11地区は変化する社会情勢や過疎化の波に負けず、それぞれの保存会に見合う内容に、花祭りの形を変化させながら現在まで継承している。
 その中で下粟代花祭り保存会では、元来は長男が祭りを守っていたがそれをやめ、次男や三男たちに協力を要請。若い頃から祭りの担い手になり、所帯を持つと、その子どもが舞手になっていくなど、後継者育成を広く行っている。
 また河内と中在家の2保存会では、保存会の範囲を拡げて継承している。特に河内保存会は、約40年前に旧来の集落では祭りが存続出来なくなり、15年にわたり中断してきたが、組織の広域化を考え、近隣集落をふくめて旧来の約4倍近い人数で再開に至っている。
 御園花祭り保存会では、15年ほど前から東京都東久留米市の住民と連携し、御園と東京で花祭りを開催。また、東薗目保存会は、小学校の廃校跡にきたプロの和太鼓集団のメンバーを保存会員とし、和太鼓集団との技術と人的交流を行うなど、各地区が知恵と工夫で「花祭り」の保存・継承に努力している。


■ 講評(評価のポイント)
少子・高齢化が進む中、「花祭り」を後世に伝えたいと、それぞれの保存会が知恵を出し工夫して、保存・継承のあり方に地区ごとの多様性を認めつつ、包括的な視点にたって祭りの継承活動を行っている。その取り組みを行う中で、多様な主体との出会いに繋がり、都市農村交流に展開しており、こうした文化伝承の形は全国的な教訓になるという点を高く評価した。



「沖島の左義長」 沖島町自治会(滋賀県近江八幡市)


■ 活動の概要
 沖島は、琵琶湖最大の島で、湖の島に人が住む例は世界でも少なく、日本では沖島のみである。人口は約500人で、周辺を取り巻く自然環境や生業の形から独特の風土が生まれ、周辺農村地帯とは異なる文化を育ててきている。
 その一つに、毎年成人の日の前後に「サンチョウ」と呼ばれる、市内でも最大規模を誇る巨大な作り物を製作して燃やす小正月行事があり、近江八幡市の他地域も同様に行われるものであるが、沖島ではもう一つ別の意味が込められている点が特徴的である。
 沖島のサンチョウ行事は、数え年15歳~25歳までの男子で構成される青年団が主体となって行われるもので、島に生まれた男子はこの青年団に入るのが昔からの習わしである。数え年15歳の少年達は、「ゲンプク」と呼ばれ、この時から青年団の一員として一人前として扱われるが、同時に最も厳しい試練を与えられる。
 行事の当日、ゲンプクの少年達は、奥津島神社の裏手の山から各自一本ずつ、自分の担ぐ御幣の本体となる松の枝を切り出してくる。青年団長を先頭に、揃いの作務衣様の着物を着たゲンプクの少年達が頭上に五色の御幣用の短冊をいっぱい担いで従い、その後方には、大漁旗や鉦などを持った青年団が囃し立てながらやってくる。
 神社に到着し、本殿に拝礼した後、サンチョウに奉火する火の付いた提灯をもった団長とゲンプク達で、スクラムを組んだ青年団員達に突進しながら石段を下りると、今度は青年団員達にサンチョウへ火を放とうとする火を消されてしまう。そのうち島の大人達も加わり格闘の結果、火が付けられると巨大な火柱となっていく。こうしたサンチョウの試練をくぐり抜けた仲間の絆は固く、愛郷心を育てる行事になっている。

■ 講評(評価のポイント)
琵琶湖に浮かぶ島の中という独特の立地条件の中で、若者を中心に、しっかりと伝統行事が継承されている。「サンチョウ」の大きさもさることながら、住民みなで若者を育て、見守っていこうという儀式は同世代の仲間をつくり、地域への愛着心を育てることに繋がり、地域の担い手づくりの行事となっている点が重要である。今後の農村伝統行事伝承活動におい、担い手となる若い青年団員が中心となって賑やかに継承している点を高く評価した。