第7回むらの伝統文化顕彰
農林水産省農村振興局長賞


「北海道和種馬による駄載技術」
函館だんづけ保存会(北海道函館市)


■ 活動の概要
 日本では平安時代頃から駄馬を使用するようになり、江戸時代に京都と江戸の間に宿駅制度が設けられ、伝馬制度を整備し、各宿場では馬を常用して書状や荷物を送るのに活用した。その後は、主要な街道にも次々つくられ、馬は庶民の暮らしに深く関わるようになり、西は牛、東は馬が主であった乗用や駄載(駄賃づけ)も、次第に全国的に馬が使用されるようになった。
 これらの子孫は現在8種類が日本在来馬(*)として残るのみで、その一種が北海道和種馬(ドサンコ)であり、最近まで北海道の産業や生活に深く関わってきたが、自動車の時代になり、馬の仕事は減少。車では困難なところに駄載の仕事があったが、それもヘリコプターに代わり、古来の駄載技術や駄鞍などの用具も忘れられ、また駄載運搬の熟練した人の技術も少なくなっていった。
 函館だんづけ保存会では、蝦夷交易や道路不備の蝦夷地への生活物資運搬、人の移動手段などの重要な役割を果たしたドサンコによる駄載技術や馬の用具、馬文化の全体を後世に残したいと、平成17年に発足。自らの技術の習熟継承に努力するとともに、馬の全道共進会等で駄載実演を行い、馬文化の保存・継承活動を行っている。
 以前は本州方面で古く伝えられてきた技術であるが、今は、駄載の仕事や使用する馬もいなくなり、馬・技術ともに保存され今日に至るのは函館方面のみである。ドサンコも平成16年に北海道の馬文化として「北海道遺産」に指定されている。
*日本在来馬
 北海道和種(北海道)、木曽馬(長野県木曽、岐阜県飛騨)、御崎馬(宮崎県串間市)、対馬馬(長崎県対馬)、野間馬(愛媛県今治市野間)、トカラ馬(鹿児島県トカラ列島)、宮古馬(沖縄県宮古島)、与那国馬(沖縄県与那国島)

■ 講評(評価のポイント)
 北海道和種馬という種の保存だけではなく、北海道の開拓を支えた「駄載」技術や馬道具とともにそれらを全体として地域の文化遺産と捉え、実践的な活動で保存・伝承を行っている。運搬での活躍の場がない現在では、今後の技術伝承は困難が予想されるが、今、ここで保存・継承を行わなければ消えてしまう文化であり、北海道独特の伝統文化であることから、この活動を高く評価した。



「「苗取り唄・田植唄・那須稲刈唄」の伝承」 那須苗取り田植唄保存会(栃木県那須塩原市)


■ 活動の概要
 明治政府の殖産及び華士族授産計画により那須野ヶ原に入植した開拓者が、当時石ころだらけの大地に水を引く構想を立て、明治18年9月15日に、日本三大疏水と言われる那須疏水を完成させた。これで長い水不足との戦いは幕を閉じ、那須野の人々は歓喜し、米づくりに励んだ。こうして昭和30年代まで続く馬と手作業による農作業の中で生まれ、歌い続けられたのが「苗取り唄・田植唄・那須稲刈唄」である。
 しかし、農業の機械化とともに、昔ながらの農作業の風景は姿を消し、誰もが歌うことの出来た唄も現在では知る人が少なくなっている。また共同作業であった田植えや稲刈りは、機械化や混住化により個人の作業になり、地域の関係は希薄になって、地元の子ども達にとって、先人が苦労して開拓した田んぼや農業は身近なものでなくなってきている。
 那須苗取り田植唄保存会は、昭和30年代まで続いた馬と手作業による田植えの姿や、作業中に歌われていた「苗取り唄・田植唄・那須稲刈唄」を後世に残すため、平成4年に14名で発足。翌年には、町の文化協会に入会し、毎回10人ほどの特別参加の子ども達(幼稚園性~6年生まで)と共に各種イベントに参加するほか、老人ホームの慰問などを行っている。
 また、子ども達に食の大切さを伝え、歴史的な伝統文化の保存に貢献するため、かつての田植えの姿を復元し、年間を通じて農作業体験を行っている。
 平成15年度からは、水土里ネット那須野ケ原が推進本部となり、「田んぼの学校の学校」~米づくり自然親子・体験塾~として正式に立ち上げている。

■ 講評(評価のポイント)
 苗取り唄・田植唄・那須稲刈唄を継承するため、春から秋へと続く昔ながらの農作業の姿を復活し、子ども達へ農作業体験を実施している。こうした活動に加え、水辺環境体験支援事業の実践フィールドに指定されるなど地域への広がりがあり、先人が苦労し開拓した那須野の農の景観保全にも繋がっている。こうした農作業体験や唄の伝承が学校や子ども達の生活と連動して行われている点を高く評価した。